マト♂です。
さて、少々辛辣な日記になりますが、
私の体験と感覚を通して眺める世界では、多くの日本人は「サル」なのです。
これは私だけが感じているわけでもなさそうで、例えば某カレイドのお方も盛んに警告しておりますね。
何故にサル? それは人間の条件を満たしていないからです。
主に三つあります。コミュニケーションがとれること、信仰があること、そして自己がしっかりしていることです。
コミュニケーションがとれるというのは、ご近所付き合いのことではありません。様々な人たちと必用に応じて会話したり共同作業することです。そんなの会社や学校でしてるよと反論する前に、自分の前に外国人がいる状況を思い描いてみて下さい。どうですか?コミュニケーションがとれますか?
私は英語が流暢なわけではないし、好きでもありません。それでも以前は仕事で国際会議に出席した折に、歓迎パーティーで海外の友人を作ったりしました。遠征は数人の団体で行くのですが、他の日本人は大体壁際に固まって日本人だけで話をしていました。折角のチャンスに何と勿体無い! 英語を母国語とする国はそんなに多くないのですよ。みんな自分にとって外国語である英語で交流しようとするのです。だったら間違えたって当たり前、仲良くしようという気持ちが大事だと思うのです。
ちなみに政府やマスコミの影響で、韓国人や中国人をやや後進国の人々と見ることが多いのですが、とんでもないですよ。私の知る限り、彼らは英語できちんと交流し、知識欲が旺盛です。そして何と日本語を話す人が多いです! さらに韓国人にはクリスチャンが多いようです。東京のカテドラル聖堂や、秋田の聖体奉仕会ではよく韓国からの訪問者に出くわしました。
日本ではキリストという言葉だけで引く人たちが多いですね。何故か宗教は「危険」で、関わりを持ってはならないものなのです。世界に目を向ければ大多数の人たちが宗教の洗礼を受けています。政治家や著名人たちもですよ。すなわち信仰心は人間としての大前提。そんな彼らに「エコノミックアニマル」「イエローモンキー」と言われても何だか仕方なく感じます。もともと日本にも神道があり、仏教もあり、天皇を現人神と崇めた人種だったのに、明治維新と敗戦という二つの大転換でサルへと転じてしまったのですね。
勘違いされては困りますが、私は宗教を勧めるわけではなく、ましてや天皇制の復興を望むわけでもありません。そうではなくて、意味不明な宗教への恐怖心を脱して聖なるものへの敬虔なる信仰の大切さを思い出して頂きたいのです。
そして大きな妨げとなるのが、「周りに合わせなくてはならない」「目立ってはいけない」という日本独特のムラ意識で、これぞ支配層の思うツボなのです。
マスコミを通して如何に洗脳しやすいか!
まあ、洗脳されている自覚もないでしょうけどね。
私はサル山に住みたいとは思いません。
そういえば私と交流ある人たちは英語が得意で宗教を遠ざけていないですね^ - ^
自然とそういう人たちに絞られてしまうのでしょうか?
さて、本来地球に生まれたからには人間であることは当たり前で、その先へと進みたいのであります。その先が何かと言えば、「ヒト」への道であり、私自身がようやく明確に説明できるようになってきたのでワークを開いております。
「ヒト」が何を意味するかはまた次回のお楽しみですかね^-^
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