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彼岸

まど♀です。

お彼岸の時期ですね。

私もお墓参りへ行ってきました。

お彼岸に因んで先祖供養について少し触れてみたいと思います。

 

昔は、ご先祖様のお陰で今の自分があるのだから、先祖供養は大事…と思っていた時期がありました。

しかし最近は認識が変化してきました。

 

元々私たちは、霊的な存在です。

高次の霊的な本来の自分、これをハイヤーセルフや魂と呼べるでしょう。

魂が三次元の肉体に宿り、今世を生きているのです。

 

魂は不滅です。

三次元の肉体が死を迎えても、消滅する事はありません。

魂は肉体を離れ、再び霊的な存在としてあり続けるのです。

そして再び肉体に魂が宿り、転生します。

 

これが事実なら、肉体は例えるならば服です。

転生とは、服を着替える様なものです。

つまり先祖供養とは、服を着替える度に新しく纏った服のルーツを尊ぶ行為、と

解釈出来るのです。

 

こう解釈してみますと、別に悪い行いでは無いのですが、少し奇妙に思えます。

是が非でもやるべき行為、という感覚が湧いて来ないのです。

先祖供養を重んじる方からすると反発がありそうですね(^_^;)

 

結局自分にとって重要なのは、三次元の肉体に宿る血筋では無く、高次の魂に繋がる『聖なる感覚』です。

過度な先祖供養は『聖なる感覚』に目覚める道から逸れる要因になり兼ねないので、程々が良いのではと感じます。

過度な、とは無理して多額のお金や労力を掛けてまで供養する義務は無い、という意味です。

自分が供養したいと感じたら、出来る範囲でやればいいと思います。

 

お墓や仏壇に手を合わせる行為は、純粋に故人に対する礼儀であり、血が繋がっているから…という点には囚われない方が良い気がしますね。