マト♂です。
時間が消失しつつある今、時間の流れは一つではないようです。
それは川の流れに例えてもいいのですが、まず私たちは海に棲む魚だと思って下さい。海に生まれて海に死ぬ、永遠のサイクルの繰り返し…
海は果てし無く広く、何処までも続く世界。そこにいることは当たり前で、そこで起こることは全て避けようがありません。共存もあれば、弱肉強食の戦いもある。
海は言い換えれば、人類共通の無意識の世界です。
ある時、私たちは海に流れ込む川の存在に気がつきます。
それは刺激的な塩水ではなく、味も素っ気もない真水なので、ほとんどの魚は関心を示すどころか危険だと遠ざかります。
ところが中には川がどうなっているのか遡ってみる変わり者がいて、何故ならば川の大元にこそ大切なことがあると感じてしまうからです。
真水は最初苦しいと感じるかもしれませんが、ちゃんと過ごすことができるのです。(全ての魚がそうではないかもしれませんが)
そして、最初から川で暮らす魚たちもいるのです。
最初から川にいる魚たちは色々なことを教えてくれますが、川の上流に行こうという気にはならないようです。
しかし私たちは川の大元を知りたいのです。
それで川の魚に別れを告げて、先に進みます。
川は途中で何度か分岐点があり、どちらへ進むか選択を迫られます。どちらへ進んでもそれなりの終着点がありますが、自分の求めるゴールは本当は決まっていて、耳をすませば何かしらの導きが聴こえて来るのです。
やがて同じ志の仲間に出逢うでしょう。
そうなれば一安心。
迷う事なく山の頂を目指せます。
しかし苦しくなって、海に戻ろうとすると、海はもっと苦しいところであったと気付きます。もう後戻りはない旅なのです。
昔自分がいた世界なのに、すでに別の時間の流れなのです。
そしてその流れは抜け出して俯瞰できれば大変なことになっているのが分かります。
ちょっと感じたことを書いてみました。
必要な人が受け取れますように。
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