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ミザル キカザル イワザル

マト♂です。

 

ミザル キカザル イワザル 

 

2010年の夏に「光と闇」という絵を描きました。

 

そして2015年に「聖なる終わりと始まりに向けて」を描きました。

 

私の絵は描いた後に現実化することがあるのですが、昨年末にいよいよ宇宙の、或いは次元のポータルサイトが開いた手ごたえがあり、それによって旧い世界の崩壊が進行しつつあり、様々な混乱が始まりました。人々は「光と闇」のように闇の濁流に飲み込まれ、或いは「聖なる終わりと始まりに向けて」のように旧い次元の扉が閉じて何をどうしていいかも分からなくなって行く…そうならないように緩やかな移行を望みますが、やはりある程度は避けられないでしょう。 
光は常に手を差し伸べているので、自分の手を伸ばしてそれをつかめば良いだけなのですが、どうもそれがなかなか難しいと感じる人もいるようですね。 
「聖なる終わりと始まりに向けて」を眺めていると、「ミザル キカザル イワザル」というフレーズが浮かんできます。元々は悪い事を見ない、聞かない、言わないという教えのようですが、あらゆることを体験しに来ている私たちにとっては本来不要なものと感じてしまいます。そして今これからの混乱に際してはスピリチュアルな目覚めが必要であり、それに対して妨げとなるのが本当の自分を「見ない」、魂の声を「聞かない」、本心を「言わない」ということなのです。 

 

そんなことを漠然と思い浮かべていたら、全く別のイメージが閃きました。ちょっと口が悪くなりますが、常日頃私は日本人の多くが人間になれない猿のような状態と申しておりまして、それはつまり言葉(共通言語としての英語)を話せず、信仰を持たず、個を没して大衆に従うという習性がまるで猿山の世界を連想させるということなのですが、正に「猿」が浮かんで来たのです。 
ミザルとは「未猿」すなわち格差社会の影響で社会に適合するための環境から弾かれている者たち、アニメやゲームの二次元世界に逃避している者たちなど、猿にさえなれない者たちです。 
キカザルとは「着飾る」すなわち社会情勢に関心を持たず流行を追い服装や化粧やグッズに浪費する者たち、無意識レベルでコントロールされやすい者たちです。 
イワザルとは「岩猿」すなわち社会という猿山の構成員であり、かつ松果体などが石化して目に見える現実だけを頑に信じ、石橋を叩いても渡らないほど変化を嫌う頑固者、言い換えれば見事にエゴに支配された者たちです。

 

一番厄介なのが岩猿ですかね。 

あなたは既にそんな世界から抜け出ていると思いますが^ - ^