まど♀です。
少々厳しい言い方かもしれませんが、マトは、
『日本人は人間になれていない者が多い。人間ではなくサルである。日本はサルの集団の国である。』
という表現をする事があります。
(サルという表現に関しては、以前もブログで綴っております→ヒトとサルと人間と/ミザル キカザル イワザル)
ではマトの言う人間とは?
「サルと人間の違いは、自分で判断出来るかどうかだ。
自分で判断するには、自分の軸が必要になる。
自分の軸を形成するには[信念]或いは[信仰]が必要だ。
信念を説いているのが哲学。
信仰を説いているのが宗教だ。
『宗教は怪しい。哲学は難しい。』と、どちらも放棄している日本人は多いのではないだろうか。
よって、自分で判断出来ないから他者に相談するのである。
だが相談が必ずしも得策とは限らない。
他者に相談すると、自身の判断に基づく自己責任から逃れようとしてしまうのである。
結果が伴わなければ責任転嫁、被害者意識が起こるのである。」
『〇〇さんの言った通りにしただけで、自分は悪くない!』とか、『騙された!』と思う訳ですね。
「ならば最初から相談などしなければよいのである。」
私は自分で分からなければ、すぐにマトの意見を求めてしまいます(^-^;)
でも他者から助言を受けたとしても、最終的に自分の行いは全て自分の選択。
被害者意識にならないよう、気をつけてはいるつもりです…。
「知識のある者に意見を訊くのは悪くない。
自分で判断出来ない原因は、自分の知識や経験不足によるものだ。
知識を知りたくば、知識を持つ者に訊けばよいのである。
だが大抵はそうせずに、親や友達に相談する。
親や友達が知識や経験をきちんと持っていれば良いが、そうでない場合は相手の価値観を押し付けられるだけで終わるケースが多い。」
価値観を押し付けは親子間だと特にありそうですね。
けれど知識や経験のある人といつも簡単に会えたら苦労しませんよ。
だから皆、身近な人に相談するんですよ。
「知識のある者と話すのが難しければ、本から知識を得るのも手だ。(現在ではネットもある)
しかしどの本を読むと良いか、どこから情報を得れば良いのかさえも自分で判断出来なければ、結局は立派な肩書きや資格の有無、有名人かどうか、といった世間の評判で情報源を選んでしまう。
そして流行を追いかける。
こんな調子では自分の軸など形成出来ない。」
確かに。全く面識の無い人の知識を取り入れたければ、まずはその人物の人となりを把握したいですよね。
ただ、自分が得られる判断材料が少ないから、資格や肩書き、知名度の高さを参考にするしかないのかもしれません。
(私の場合、ネット検索では上位に出てくる記事の方が信憑性が高いと思い込んでいた時期がありました…)
どうすれば良いのでしょう?
「一番大事なのは、自分が真に知りたいと思うか、解決したいと望んでいるかだ。
自分が望めば、宇宙の支援が入る。
例えば僕が宇宙からヒーリングを授かった時、霊能者を通じてイエス・キリストから
『このヒーリングを【キリストオーバーソウルヒーリング】と名付けるように』
というメッセージを受け取り、【キリストオーバーソウル】って何だ?と疑問を持った。
後日知り合いが不要になった本をくれると言うから承諾すると、大量の本が送られてきた。
その中から何となく気になって手にした一冊が【ライトボディの目覚め】だった。
本の内容に【キリストオーバーソウル】が出てきて、意味を知る事が出来た。
これはまさしくシンクロニシティであり、本当に必要な事は宇宙が教えてくれるのだと自分の体験から悟ったんだ。
大切なのは、拒否・拒絶をしない事。」
じゃあ、『私はこの疑問の答えを知りたい!解決策が欲しい!』としっかり意識する必要があるのかな?
「望むと言っても強く願う必要もない。
逆に強く願い過ぎるとサインを見逃してしまう可能性もあるので、余裕を持つのが望ましい。」
なるほど。強く願うと執着になりそうですからね。
私も解決策が思い浮かばない時は、散歩したりして肩の力を抜くと閃きが来て助かった経験があります。
余裕を持つと宇宙の支援を受け取り易くなるのでしょうね^-^
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