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自分の顔

まど♀です。

「最近、美容整形外科のCMが増えてきたな~」

と、マトが言いました。

 

「整形って、昔はこっそり隠れてやるようなものだったのに、今では当たり前になってきているね。」

 

そうですね。

一重を二重にするくらいなら簡単に出来ると聞きますし、手軽なオシャレ感覚になっているのかも。

 

「本人の自由だけど…。

整形とは、本来手軽に行うようなものではない。

自分の顔というのは自分の内面の表れでもある。

従って、無理矢理顔を変えるのは自分の内面を無視するという行為である。」

 

『自分の顔は自分で作っているのである』

とマトは言いました。

私は俄かには信じ難く、反論しました。

だって、大抵の人は両親に顔が似てくるじゃない。

両親に似ない場合は隔世遺伝とかもあるし。

 

「確かに、顔立ちに関しては遺伝という要因もあるが、そういった部分も含めて自分で親を選んで産まれてきているんだよ。だから顔も自分で選び、自分で形成していると言える。

ただ、遺伝云々もあるが、やはり本人の内面による影響は大きい。

何故なら、顔は大人になるにつれて変化するからである。

赤ちゃんを思い出してみて。赤ちゃんの頃は皆似た様な顔をしているだろう?」

 

言われてみればそうですね。

赤ちゃんの頃は皆純粋無垢だから、それが顔に表れている…という事でしょうかね。

 

でも、整形をする企画の番組を見た事があるのですが、依頼人は自分の顔に劣等感を持つ方々ばかりで…

顔が原因で子どもの頃から学校で虐めを受けて、辛い体験をしたという方も見ました。

そういった方々が『自分の顔は自分で作っている』と聞いたら、「そんな馬鹿な!」と否定しそうですよ。

 

「虐めを受けた人は、前世のカルマが原因かもしれない。

カルマを清算する為に、虐めをあえて体験するのが目的で顔を選んだのかもしれないよ。

もしそうならば、整形して顔を変えてしまうとカルマの清算を次回に持ち越す可能性だって出てくる。

まぁ、これは稀なケースだけど。」

 

マトの挙げた例については、必ずしもそうとは言い切れないと思います。

ですが、そういう見方もある、という意味では納得しました。

 

 

「そういえば今朝、鍍金(メッキ)がキーワードとして出てきたな。」

 

え、メッキですか?

 

「うん。金はどんなに汚れても磨けば必ず綺麗になる。

でも鍍金は強い力で磨くと剥がれてしまうのである。」

 

ああ、よく『メッキが剥げる』と言いますよね。

 

「スピリチュアルにおいては【御霊を磨く】という言葉が出てくるが、メッキの人(常に着飾っている人)はメッキが剥がれるのを恐れるのである。メッキが剥がれると自分には何も残らないと思い込んでいるから。

そういう人は【御霊磨き】などに関心が向かない。

 

鍍金を維持するには頑固な汚れが付かないように、いつも柔らかい布で拭いていればよい。

つまり、外見に気を配り続けなくてはならないという意味だ。

常時化粧をし、素顔を決して人前に出さない、とかね。

 

でも、相手の事は相手の目を見れば大体分かる。

化粧や整形は無意味だ。」

 

いやぁ、相手の目を見て感じ取るのは私にはまだ難しいかも…

とりあえず一重を二重にしようが化粧をしようが、マトの前では関係ないみたいですね(^-^;)