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ニギハヤヒ

まど♀です。

前回の記事の続きです。

 

魂のお話には【秋田にまつわるマトの体験談】が関わってくるので、先にそちらを綴ります。

 

 

◆*◆*◆*◆*◆*◆

 

 

2010年3月、知り合いから借りた日月神示の本を読んでいると、その中にある、

[何もかも世の元から仕組みてあるから神の申すところへ行けよ。

元の仕組は富士(二二)ぞ、次の仕組はウシトラ三十里四里、次の仕組の山に行きて開いて呉れよ]

という文が気になった。

 

三十四里とは約136km。丑寅は鬼門と呼ばれる北東の方角。

距離を正確に測れる地図で計測し、富士山の山頂を基点に北東へピッタリ136kmに何かないかと探したら、[鳥見神社]があったんだ。

早速行ってみると祭神が[ニギハヤヒ]という名の神様だった。

 

境内に本殿よりも気になる木を見つけてね、なんと木を中心とした盛土が神社になっていて、その名が足尾神社。祭神が[国常立命(クニトコタチノミコト)]だった。

日月神示とは岡本天明が国常立命による神示を自動書記した書物だ。

 

僕は国常立命の名を見つけて満足し、その場を後にした。

[ニギハヤヒ]という謎の神は素通りしてね…。

 

 

2011年正月頃、ネットを見ていたら、たまたま奈良県生駒市の副市長を募集している記事を発見した。

面白そうだから応募してみようと思い、生駒がどんな所かを調べてみると、神武天皇と長髄彦(ナガスネヒコ)の戦いの地だと分かった。

長髄彦というのはニギハヤヒの部下として仕えていた者だ。

 

戦いの最中、神武天皇の弓の先に金色の鳶が止まる。

その瞬間、長髄彦の軍は目が眩んで戦えなくなり、停戦した。

そしてニギハヤヒは神武天皇に国を譲った、というお話だ。

ここからは僕個人の解釈だが、おそらく金色の鳶はニギハヤヒの象徴。

ニギハヤヒは争いを好まない神で、最初から神武天皇に国を譲るつもりだった。

だがそれに納得出来ない長髄彦が神武天皇と戦いを始めた。

長髄彦は戦場で主君の象徴を目の当たりにして戦意を喪失したのではないか、と感じた。

 

 

だが、この時もまだニギハヤヒにそれほど関心を持たなかった。

(因みにこの話を書いて応募したところ、全く選考に引っかからなかったよ^-^)

 

 

同年8月、秋田で女神まつりというイベントを開催するから出店してほしいという連絡を受けて秋田へ行った。

女神まつりのイベント会場は[唐松神社]だった。

 

女神まつりの後に男鹿のカンカネ洞へ行って驚いた。

2009年に秋田へ行って帰って来た時、【踏み出す】というタイトルのアートを描いたんだけど、アートとそっくりの情景が広がっていたんだ。

凄い場所だと感動したよ。

 

 

秋田から帰って来た直後、スピリチュアルオフ会に参加したんだけど、参加者の中に神道に詳しい人がいてね。

「自分は物部氏について調べています。物部の始祖にあたる神をニギハヤヒといい、秋田の唐松は物部の神社で、ニギハヤヒの子孫が受け継いでいるそうです。」

という情報をくれた。

それを聞いて、

「あれ?唐松神社ってつい最近行って来たぞ。不思議なシンクロだな。」

と感じた。

 

 

同年9月、再び秋田を訪れた。

八郎潟には北緯40度線と東経140度線が交わるクロスポイントがあって、そこを目指していたんだが微妙に迷ってしまってね。

すると車と並走して飛ぶ鳥がいて、目的地まで案内してくれたんだ。不思議な旅だったよ。

(画像転載元:美の国秋田ネット)

 

因みにこの東経140度線は千葉も通るから面白いね♪

 

 

同年10月、柳生の地で金星会議という会に参加し、その時知り合ったメンバー達と翌月11月に京都・奈良・大阪へ行き、聖地巡りをした。

奈良の巨石群が凄くてね。神野山というんだけど、そこは山全体で銀河の星を正確に岩で再現している事が分かった。

銀河の星とは、デネブ・ベガ・アルタイルの夏の大三角形の配置だった。

 

 

その後大阪へ向かい[磐船神社]へ案内されたんだが、あろう事か、磐船神社の祭神がニギハヤヒだったんだ。

 

子宮の岩があるらしく、「そこで新しく生まれ変わるための子宮潜りをします」と言われてね。

宮司さんに鍵を開けてもらい岩穴へ入って行くと、まさに産道のような所だったよ。

 

 

次に隕石を祀る星田妙見宮に案内してもらった。

昔隕石が落下した地で、隕石に織女石(たなばたせき)と名付けて七夕の織姫を祀っているんだ。

隕石が落下した場所は強いエネルギーが今も残っていて、当時隕石の落下によって大きなエネルギーが生じ、時空間の歪みを作ったんじゃないかと感じた。

 

 

[鳥見神社][唐松神社]ときて、[磐船神社]で再びニギハヤヒの登場だ。

この時点で漸く僕はニギハヤヒについて真剣に調べ始めた。

すると、またしても[鳥見]という言葉(地名)が出てきた。

元々[鳥見]は生駒(大和地方)の辺りだと分かった。(奈良市には現在も鳥見という地名がある)

 

かつて大和地方はニギハヤヒが統治して栄えていたが、そこへ神武天皇が成敗しにやって来る。

神武天皇と長髄彦の物語通り、ニギハヤヒは大和の地を神武天皇へ譲り、[鳥見]という地名を連れて印旛へ移った。

従って、印旛周辺には[鳥見神社]が点在している。

そうして印旛が鳥見として栄えた。

ところが今度は大和朝廷から日本武尊(ヤマトタケル)が成敗に現れる。

またもやニギハヤヒは関東の地を譲り、秋田へ移った。
秋田の鳥海山はニギハヤヒが降り立った山という伝説がある。
最終的に秋田の唐松がニギハヤヒの安住の地となったんだ。

 

今まで辿ってきた奈良・千葉・秋田が結ばれ、全てはニギハヤヒの導きだったと気付いた…。

 

 

同年12月、今度は秋田で金星会議をやる事になり、田沢湖へ行ってきた。

 

秋田県の地図を見て三つの湖の配置が三角形だと気付いた時、奈良の神野山の[夏の大三角形]を思い出した。

あれは山だったが、秋田の場合は更に大きなスケールだったから驚いたよ。

 

そして誰に教わる訳でもなく漠然と[十和田は白鳥]というイメージがあった。

実際、十和田湖は白鳥のスポットだった。(十和田湖に行ったのはもっと前で、2009年8月)

僕は以前、知り合いからチャネリングメッセージを通じて白鳥座のデネブ出身だと教えてもらった事があって、縁を感じた。

三湖伝説として語り継がれる[八郎太郎と辰子姫]の伝承も興味深かった。

 

 

2012年5月、インスピレーションが高まり、神々にまつわる情報を次々と受け取り、宇宙と神界の真実(自分にとっては)が一気に開けた。

ホツマツタエという日本の古文書を読み、ニギハヤヒだけでなくその妻[セオリツヒメ]の謎も解けた。

それから聖書やエジプト神話を調べてみると、所々類似している箇所を見つけた。

これらの情報を整理すると、同じ魂のグループが神話上で同じ様な役割を繰り返し演じていることが判明したんだ。(※詳細は次回記載します)

 

 

同年6月、僕は[アルクトゥルス・プローブ]という本を読み返していた。

2012年はアセンションが起こる年だと言われおり、その発端となったのはホゼ・アグエイアス博士の提唱したハーモニック・コンバージェンスだった。

ホゼのチャネリングによって現代に蘇ったマヤ暦は、13の月の暦という名称で広まった。

アルクトゥルス・プローブとはホゼがチャネリングで受け取った情報を記した本だ。

アセンションについて関心を持ち始めた頃に読んでみたんだが、中身が難しくてよく分からなかった。

ところが二回目に読んだ時は内容がすんなり入ってきた。

僕はホゼの意図を理解し、本に記された内容を即実行しなければならないと思った。

マヤ暦でいう期日が迫っていたからだ。

 

それは人類の知的な過ちを修正することの出来る【人の反作用パルサー爆弾】というものだ。

爆弾と言っても物騒なものではないよ。

 

2011年3月11日の震災によってチェルノブイリを上回る核の放出が日本で起きてしまった。

これは非常に深刻な問題だった。

何故なら海(太平洋)に計り知れない汚染を与えたからだ。

それも事故処理の最中に人為的に、という愚かな行為で。

 

地球浄化の為にも、2012年12月のアセンションまでに【人の反作用パルサー爆弾】を創造し、福島第一原発のカルマを反転させる必要があると感じたんだ。

だが実行するには特定のkinに該当する者を13人集めなければならなかった。

一人の力ではどうしようも出来ず、当時mixiで呼びかけた。

 

その結果、マヤの叡智『コズミック・ダイアリー』の柳瀬宏秀さんと繋がる事が出来た。

柳瀬さんはホゼの意思を継ぐ『時間の法則財団』へ働きかけてくれて、ホゼの弟子であり、晩年のパートナーであったステファニーさんのメッセージを届けてくれた。(この頃、既にホゼ本人はお亡くなりになっていた)

 

でも残念ながらメッセージによると、特定の13人を集めるのではなく、「集団瞑想をしてください」という話になってしまい、結局僕の希望通りにはならなかった。(※当時の記録はこちら)

 

諦めかけた時、別の方法が浮上した。

 

マイミクさんが、

「今、十和田湖では震災後湖面が下がり、ボートでしか行けない場所にキリストの岩が出現したそうなのです。

そのキリストは西を向いていて視線の先には教会があるらしいです。」

という情報をくれたんだ。

(画像転載元:Summer Snow 驚き!十和田湖ミステリー 深まる謎)

 

 

僕はこの出来事が、以前から何となく浮上していた【かごめかごめ】の歌詞と繋がると感じた。

 

かごめ かごめ

籠の中の トリは

いついつであう

夜明けの晩に

ツルとカメがすべった

うしろの正面 だあれ?

 

 

実は不思議な事に、十和田も秋田も地球も〇十(マト)のマークなんだ。

◆十和=十〇(十輪)

◆秋田市章が㊉のマーク

◆地球の惑星記号も㊉

 

↑秋田市章

↑地球の惑星記号

 

僕はこの㊉のマークを秋田の聖体奉仕会で見掛け、印象に残っていた。

(画像転載元:カトリック修道院 聖体奉仕会)

 

かごめという語句をヘブライ語で解釈すると[何か大切なものを囲んで守る]という意味らしい。

十を十字架として見れば、㊉とは十字架すなわちイエス・キリストを大切なものとして護っていると解釈出来る。

或いは十を飛翔する鳥のシルエットと捉える事も出来る。

 

かごめ(籠目)は、籠の中に閉じ込められた存在。

籠の中の鳥はイエス・キリストを指す。

そして水位が下がり籠の中の鳥が解放され、出逢う…

 

 

これは宇宙の導きによるシンクロだと感じた。

 

秋田の夏の大三角形を思い出し、まだ他に方法があると気付いた僕は【かごめかごめ】の謎解きをした。

ベガとアルタイルを鶴と亀にあてはめ、すべったは統べった、つまり統合。

[夜明けの晩]の意味はすぐに分からなかったが、[七夕]を指す言葉だと気付いた時には既に7月7日は過ぎていた。

「間に合わなかったか…」と一瞬落胆したが、「旧暦に置き換えてみたらどうか?」と思い直して調べると、8月24日が七夕だった。

これならギリギリ間に合うと思い、秋田の友人達にも呼びかけ、8月22日の夜に千葉を発った。

 

さて、残された歌詞の[うしろの正面 だあれ?]の意味も明かされた。

八郎潟と田沢湖を線で結ぶとラインの中央には太平山がある。
この統合点を中心に、デネブである十和田湖の反対側に何があるかというと、そこには鳥海山があったんだ。
鳥海山の位置に当てはまる星座が何かを調べると、さそり座のアンタレスであると分かった。
ホゼのアルクトゥルス・プローブによるとアンタレスの人々は惑星配置設計者(プラネットメーカー)であり、実に重要な役割を持つ星だったんだ。
プラネットメーカーとは太陽系の設計担当。
つまりアンタレスは創造・現実化を司る星。
三つの湖によって創造した銀河のエネルギーラインを三次元に具現化・定着化させる意味を持つ。

 

さらに、鳥海山はニギハヤヒが降り立った場所だ。
今までニギハヤヒに関わる一連の体験をしてきた理由はこの為だったんだと感じたよ。

 

こうして2012年8月24日、三つの湖と鳥海山を結んだ【銀河のひし形のエネルギーライン】を構築するに至ったんだ^-^

 

 

 

◆*◆*◆*◆*◆*◆

 

マトの体験談のお話でした。

 

ニギハヤヒに導かれ銀河のエネルギーラインを構築した体験は、数々のライトワークをこなしてきたマトにとって『集大成』といえるものでした。(※当時の記録はこちら)

 

 

しかし私の不思議体験はまだこれからです…。

 

次回はニギハヤヒとその妻セオリツヒメのお話を載せます。

 

 

《続きます》

 

 

 

 

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