· 

尊敬する人

まど♀です。

前回、マトのお祖父さんのお話をしました。

私は以前、マトに尊敬する人はいるのかと尋ねた事がありました。

 

「いるよ。黄先生と町山利郎(僕の祖父)。」

 

黄先生とは台湾にいらっしゃるヨガの先生だそうです。

マトが本格的にヨガを始める前のこと、来日した黄先生に出会い、感銘を受けたそうです。

 

きっと余程の達人なのでしょうね!

 

「確かに達人だけど…僕は能力よりもその人がどういった波動状態であるかを重視する。

黄先生は大勢の弟子を抱えながらも、

『私はあなた方に教えるのではなく、あなた方と共に学んでいるのです』

と言っていた。

『先生』と呼ばれたり人気者になったりすると、高慢になってしまう者もいる。

けれど黄先生とても謙虚な方なんだ。

 

次に僕の祖父。

祖父は柔術の達人であり、免許皆伝まで到達した人物だった。

普通ならその時点で満足しそうなものだが、祖父は次に合気道を習い始めたんだ。

僕が祖父を凄いと感じているのはそこだよ。」

 

慢心せずに、また一から別の武術を学ぶ姿勢は立派ですね。

黄先生はヨガの達人、お祖父さんは柔術の達人だから尊敬しているのではなく、お二人の初心を忘れぬ謙虚な姿勢を尊敬しているのですね。

 

 

因みに我が家にはお祖父さんの肖像画があるのですが、初めて見た時、私は驚きました。

なぜなら、お祖父さんの腕に何かが刺さっているからです!

 

一体何が起きているのか?

詳細はマトの日記に記されていました…。

 

 

◆*◆*◆*◆*◆*◆

【2013年9月5日 伝説の人】(マトのmixiの日記より)

 

私の祖父、町山利郎の話はこれまでに何度か日記にも綴ってきました。 


祖父は若かりし頃、浦安の蓮田の中島にあった五本松の根元で白蛇を見て、弁才天の祠を作りました。 

それが今の浦安清瀧弁才天の始まりです。 

祖父の祀った祠は二度ほど大水に流されて行方不明となりました。 

一度目は夢に白蛇が現れて、祠の場所を祖父に伝えたそうです。 

二度目は隣村の行徳まで流されて、祠の上に守るように白蛇が乗った状態で村人たちが見つけ、「これはただ事ではない」と必死に調べて祖父の元へ戻してくれました。 

それが噂となって弁才天をお参りする人が増え出し、 

お参りした人たちに次々とご利益があったことが口伝えで広まり、 

全国津々浦々から連日参拝客が行列をなす賑わいとなりました。 

祠は賽銭によって立派な社となり、 

参道が作られて両脇には縁日の出店が並び、 

あまりの賑わいに商工会議所が祖父に神社の権利を譲るように頼んできました。 

祖父は随分と渋りましたが、何度も何度も来るので、 

きちんと管理するならという約束で権利を譲りました。 

そのとたんにご利益は失せ、 

徐々に参拝客が減り、 

やがて誰も管理することのない廃墟のような神社になってしまいました。 

見るに見かねた清瀧神社の宮司さんが弁才天の面倒も見るようになり、 

名前も今の清瀧弁才天に変わりました。 


もともとは「生身蛇形弁才天」といいました。 

私の母はことある度に、「うちの神社」と言っております^^ 


さて、祖父は実は人物そのものが伝説的存在なのです。 

家族にはあまり話をしなかったようで、 

数々の武勇伝は他人が家に遊びに来た際に語ったのを、 

母が耳にして記憶しているようです。 

柔術という、講道館柔道の前身の護身術の達人でした。 

その最高位である「免許皆伝」を手にしたおそらく最後の人で、 

修行の最後に一人で三年間山に篭るという難行を達成しました。 

食するものがない時は松の葉で飢えを凌いだと言っていました。 

また免許皆伝を手にしてからも柔術の完成度をより高めるために、 

合気道と居合いを習い、 

それらもかなりのレベルまで行ったようです。 

宴席の余興として、畳を居合いの呼吸でパンと叩くと直立したそうです。 

また暴れ牛を素手で制したなどという話もあります。 

私も子供の頃に、多少護身術の講義を受けました。 

覚えているのは呼吸の大切さ、 

丹田の大切さ、 

それから受身と人間の急所を教わりました。 

急所は槍の切っ先を刀で切り落とされた時に、 

相手に切り掛かられる前に突いて失神させるのです。 

実際祖父は常に真剣と接していて、 

刀を突きつけられても全く動じることがなかったようです。 

余程の剣の達人でなければ、 

逆に祖父が刀を奪って手にしていました。 

人体を熟知し、 

自分の身体については血の流れまで全て感じ取っていたようです。 

その話は私が幼い頃に祖父から何度も聞かされ、 

「二本並べて刃を立てた真剣の上に素足で立ち、二の腕に自分で一滴の血も流すことなく長い針を通した。そしてそれを絵に描かせた」 

と言っていました。 

私はその話は本当だろうと思いましたが、噂の絵を見たことはこれまでありませんでした。

 
ところがですよ、 

今日母に会いに言って祖父の昔話などしていたら、 

その絵が実家に現存していることが分かりました。 

「見たことあるでしょう」 

と言いますが、誓って見た事はないのです。 

これまで絵の話を何度もしていましたが、「しまってある」などとは初めて聞きました!

まるで平行次元が今日クロスしたような感覚です・・・ 

実家には飾る場所がないというので 

ええ 

頂いて来ましたよ^^ 

伝説の絵を 

 



これです♪ 

 

 

 

◆*◆*◆*◆*◆*◆

転載は以上です。

 

(松の葉って食べられるのか……じゃなくて、)

いろいろと突っ込まずにはいられません!!

 

というか、刃の上に乗っていたのは後から気がつきました。

マトとお祖父さんが嘘を付いているとは微塵も思っていません。

思ってはいませんが…『一滴の血も流すことなく長い針を通した』なんて、本当にありえるのでしょうか?!

武術を極める者からすると、当たり前の光景なのでしょうか…?

私の理解の範疇を超えた世界です!

 

「僕も、どうせなら写真で残してもらえると信憑性が増したと思うんだけどね。

でも絵で残したという事は、描き上がるまで暫く体勢を維持したという意味だ。やっぱり凄いよね。」

 

刃の上に立って、何故足が切れないの?

 

「動かなければ切れないらしい。

紙を刃の上にふわっと落とすとパサッと切れるらしいよ。それくらいよく切れるんだって。

だから震えたりして少しでも動けば足は切れる。

絵が描き終わるまで微動だにしないなんて人間技ではないよね^-^」

 

 

 

我々人類は、沢山の未知の可能性を秘めているのですね…(^-^;)